2024年6月11日(火)19:00〜放送される「林修の今知りたいでしょ」にて、特別編として昭和・平成に起きた大事件が放送されます。
本記事では日本を震撼させた日航機羽田沖墜落事故の概要や機長の現在について紹介していきます。
・日航機羽田沖墜落事故の概要
・日航機羽田沖墜落事故での逆噴射の理由
・片桐機長のその後と現在
詳しく見ていきましょう。
日航機羽田沖墜落事故の概要
まずは日航機羽田沖墜落事故の概要についてです。
出典;nippon.comより引用
日航機羽田沖墜落事故は、1982年2月9日に発生しました。
便名 | 日本航空350便 |
飛行経路 | 福岡発東京行き |
墜落場所 | 羽田空港沖 |
乗客・乗員人数 | 174名 |
死亡者 | 24名 |
負傷者 | 149名 |
ホテルニュージャパン火災の翌日に発生、東京消防庁は連日の大事故の対応に追われることになりました。
墜落した航空機は福岡発東京行き日本航空350便で、東京国際空港C滑走路33Rへの進入中に滑走路手前の沖合の海面に墜落しました。
この事故により、乗客・乗員174名のうち24名が亡くなり、95名が重傷を負いました。
事故の推定原因は以下のように言われています。
着陸進入中、機長が操縦輪を押し込み、かつ、全エンジンのパワー・レバーをフォワード・アイドル位置まで引き戻し、その後さらに第2及び第3エンジンのリバース・レバーをリバース・アイドル位置まで引いたことによるものと認められます。機長がかかる操作を行うに至った理由は、その精神的変調によるものと認められます。
出典;JAPAN AIRLINE公式HPより引用
機体は真っ二つに折れ、亡くなった方は前から11列目までに座っていた乗客が多かったということでした。
事故後は意識喪失した機長に代わり、石川副操縦士が最後まで飛行機に残り乗客の救出を行いました。
この時、腰椎と肋骨を骨折しながらも救助に当たっていたとのことです。
日航機羽田沖墜落事故での逆噴射の理由
日航機羽田沖墜落事故では機長が逆噴射を起こしたことで墜落したとされていますが、なぜそのような操作を行うに至ったのでしょうか。
事故当時に機長は精神疾患を患っていた
その理由は機長が患っていた精神疾患、妄想性統合失調症により操縦ミスが発生したとされています。
当時機長を担当していたのは片桐清二さん35歳、被害妄想や幻聴などの症状から意図的に墜落させたとされています。
一体どのような妄想をしていたのでしょうか?
- ソ連が日本を破壊するために二分にさせて戦闘をさせている
- 敵に捕まって残忍に殺されるよりは自分から先に死んだ方が良い
これらの妄想の中で自殺するために逆噴射をしたということです。
副操縦士が止めるも数秒間の異常操縦で羽田沖に墜落しました。
機長は事故以前から精神疾患を患っていた
機長は今回の事故を起こす約1年3ヵ月前から鬱状態または心身症と診断されていたことが分かっています。
機長は事故の約1年3か月前、操縦の技量チェックを受けることになった。が、体の具合が悪いとチェックを中止。さらにフライトバッグを機内に置き忘れる等が重なり休養を言い渡された。大学病院の精神科で鬱状態または心身症と診断されたという。
そして2週間の休養の後復帰の許可が出た。ただし、国際線ではなく“時差のない国内線”で“副操縦士”としてだった。その後も、病状の確認を大学病院の精神科医と日本航空の産業医が慎重に行いながら少しずつ乗務時間を増やしていき、事故の2か月前、国内線で機長に復帰していたのだった。
出典;ntv.co.jpより引用
このような経緯があったことから、機長は墜落の刑事責任が問われたものの不起訴に。
貴重をフライト業務に復帰させた理由として、
- 機長の心の状態が医師へ十分に伝えられていなかった
- 関係医師が機長の異変に気づけなかった
- 日本航空に医師の意見を再チェックするような機関がなかった
といったことが要因とされています。
片桐機長のその後と現在
事故後の片桐機長はどうなったのでしょうか。
- 業務上過失致死罪で逮捕され精神鑑定
- 妄想性統合失調症と診断
- 不起訴処分に
その後は精神衛生法により都立松沢病院に措置入院となりました。
2024年現在ご存命であれば77歳となっている片桐さん、神奈川県の葉山にて奥さんと過ごしているそう。
事故後は奥さんが働いて生計を立てていたそうですが、現在のご夫婦の情報はありません。
まとめ
本記事では日本を震撼させた日航機羽田沖墜落事故の概要や機長の現在について紹介していきました。
事故当時は精神疾患を患っていたことから、自殺を試みて逆噴射を行い多くの犠牲者を出す大事故につながりました。
この悲劇を教訓に、今後二度とこのような事件が起こらないことを祈るばかりです。