ホテルニュージャパン火災の概要 | 火災の原因やその後、現在の跡地についても【林修の今知りたいでしょ!】

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2024年6月11日(火)19:00〜放送される「林修の今知りたいでしょ」にて、特別編として昭和・平成に起きた大事件が放送されます。

本記事では日本を震撼させたホテルニュージャパン火災の概要や跡地の経緯と現在について紹介していきます。

本記事の内容

・ホテルニュージャパン火災の概要
・ホテルニュージャパン跡地の経緯と現在
・まとめ

詳しく見ていきましょう。

目次

ホテルニュージャパン火災の概要

まずはホテルニュージャパン火災の概要についてです。

ホテルニュージャパンは赤坂の一等地に立地し、地下2階、地上10階の高級ホテルで、Y字の通路が多く迷路のような構造が特徴の建物。

出典;消防防災博物館より引用

火災が起こったのは1982年(昭和57年)2月8日午前3時の深夜のことで、鎮火したのは同日の12時36分。

火災当時は宿泊者352人、従業員21人、警備員5人が同建物内にいましたが、33名の宿泊客が犠牲となり、34名が負傷しました。

82年2月8日深夜3時すぎ、東京・赤坂にそびえる豪華ホテルで起きた大火災。オーナーは横井英樹。消防設備の不備などから瞬く間に炎が燃え広がり、23区全域の消防車、600人以上の消防士が赤坂に集結する大惨事に。翌9日には「日航逆噴射事故」が発生し、東京消防庁は対応に追われた

出典;週刊現代より引用

消防に第一報が入ったのは出火から15分後の深夜3時39分だったそうで、通報したのは燃え盛る炎を見たタクシーの運転手だったそう。

そもそもの出火の原因は938号室に宿泊していたイギリス人の「寝たばこ」で、毛布等に引火し延焼しました。

しかし適切な対応、適切な建物管理がされていれば被害は最小限に抑えられたはずとも指摘されています。

そのずさんな対応や管理内容は下記のとおり。

  • 火災報知器や管内放送設備が故障していた
  • スプリンクラー設備の設置不備
  • 客室相互の間仕切り壁の一部は木製、隙間もあった
  • 最初に異変に気づいた従業員が消防へ一報を入れなかった

また暖房設備の外気取り入れ口が閉鎖されていた。冷たい外気を取り入れると暖房費が余計にかかるというのがその理由である。ホテル内は汚れた空気が循環するだけで、カラカラに乾燥していた。火がついたらあっという間に燃え広がるのは必然だった。

出典;YAHOO!JAPAN NEWSより引用

燃え広がりやすい室内環境になっていたことも延焼がより拡大する原因となっていました。

スプリンクラーについても、天井裏にあるはずの配管がなくただのハリボテと化してたそう。

そして従業員が激しい炎に包まれた室内の様子を確認していたにも関わらず、オーナーからの叱責を恐れ、館内放送で火災を知らせていませんでした。

るっち

第一報がタクシーの運転手という時点でホテル側の対応の遅さは明らかですね。

そしてオーナーの経営に対する無責任さも大惨事を招くことになりました。

’79年にホテルを買収したのが横井でした。彼は経営改革を断行し、客の目を引く調度品には惜しみなくカネをかける一方で、儲けに関係ない防火設備や、老朽化した壁の修復には一切カネをかけなかった。

出典;週刊現代より引用

本来安全上お金をかけるべきところにお金をかけず、指導された防火体制の改善にも取り組まなかったとのこと。

るっち

オーナーのお金儲けへの執着が生んだ悲劇となってしまいました。

ホテルニュージャパン跡地の経緯と現在

ホテルニュージャパンが営業禁止処分を受け、廃業となった後はどうなったのでしょうか?

その経緯についてまとめました。

1982年

火事が発生し営業停止に

1995年

千代田生命保険が跡地を自己落札

1996年

跡地にあった建物を解体し再開発に着手

2000年

千代田生命保険が経営破綻し、プルデンシャル生命保険と森ビル(株)が跡地を買収する

2002年〜現在

プルデンシャルタワーが完成し、現在に至る

火災事件が起きた後はなんと14年間にわたって放置されていました。

そして1995年にようやく動きがあり、千代田生命保険が跡地を自己落札することになりました。

その経緯として、元々ホテルニュージャパンの社長はホテルの敷地を担保に多くのお金を借りていたそう。

ところが返済が滞るようになったことから担保のホテルを競売で売ることで、お金を回収しようと試みます。

しかしあれだけの惨状があった土地ということで買い手はつかず、千代田生命保険が自身で買い取り保有することに。

翌年には建物を解体し再開発が行われることとなりました。

ところが2000年10月、千代田生命保険は借金返済が滞ったことも影響し経営破綻してしまったのです。

そこでプルデンシャル生命保険と森ビル(株)が共同出資を行い、2002年12月に超高層ビル『プルデンシャルタワー』が完成しました。

現在も跡地には同ビルが建っておりますが、当時を知らない若い世代は過去に大規模ホテル火災があった土地だとは思わないでしょう。

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