母が自分の身に異変を感じ始めたのが2023年ごろ。
「沼を歩いてるみたいに足が埋もれて歩きずらい」という症状から始まった。
これはおかしいということで早急に検査入院となり諸々の検査を行った結果、おそらくこの2つの病気が考えられるだろうと診断された。
それは球脊髄性筋萎縮症と痙性対麻痺(脊髄小脳変性症)。
球脊髄性筋萎縮症はいまは亡き祖父が患っていた病気で、母は保因しており男性しか発症しないものの少しだけ症状が出ていることが考えられるとのこと。
そして母の身体の症状から、痙性対麻痺が大きな影響を与えている可能性が高いということだった。
最初は驚いたけれど、それでも一番安心したのは「余命には関係ない」という言葉だった。
麻痺は左脚だけで、もし進行するとしてもかなりゆっくりなはず。
そう言われていた。
しかしそれから3年半の間に、自力で立ち上がることすらできなくなってしまった。
母も伝えられていた病名と症状が一致しないことを感じていたようで、母の希望で別病院にて検査入院することになった。
そして結果の告知の日、私はグループ通話で参加した。
診断結果はALSだった。
その単語を聞いた瞬間、血の気が引いた。
私は臆病で何より病気に関する話がとても苦手なので知らないように生きてきた。
だけどALSのことは知っていた。
正直とても怖い気持ちになった。
でもスマホ越しに母の泣き声が聞こえてきた時、私が母のことを全力で支えようと決意した。
一番怖くて不安な気持ちを抱えているのは母。
これまで3年半、不安な日々を過ごしていたはずなのに母の弱音を聞いたことはなかった。
母とは仲が良いし頻繁に会っていたけど、私が病気の話に弱いことを知っていて、気持ちを打ち明けることができなかったんだと思う。
そして私は母の気持ちに寄り添っているつもりで寄り添えていなかったんだと思う。
だからそんな私に母は弱音を吐いたり、不安な表情を見せたり、気持ちの面で頼ることができなかったんだと思う。
これまでの日々を思い返したときに、一番辛いはずの母のことをちゃんと理解しようとせず、もしかしたら傷つけるようなことをしてしまっていたかもしれないと私は反省した。
だから私はこれからの日々、母にとって一番の理解者になれるように、母の近くにいることを決めた。
これから可能な限り毎日、自分の気持ちの整理のために、母と過ごす日々の記録のためにも、体験談として日記をつけていきます。

